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春は新わかめの季節でもある。前年の11月頃に発芽したものが翌年の5〜6月に成熟し、収穫する。 北海道の北部と九州以南を除き、日本の沿岸に広く分布する。 外海の岩礁地帯に多く、特に潮流の厳しいところのものが優良品とされている。
わかめの起源は、青森県の遺跡から縄文式土器とともにわかめなどの海藻が発見されていることから、数千年前から食べられていたといわれている。当時はまだ塩を作る技術がなかった為、塩分補給の目的でわかめなどの海藻を食べていたのだろう。また、大宝律令の中に、租税として海藻が定められ、他の年貢と共に献上物の一つだったという記録がある。その頃は、どうも庶民が普通に食べられるものではなかったようである。平安時代になっても海藻は貴重なものとして位置付けられ、当時は少ない野菜に替わる重要な栄養源だったようだ。
新わかめを美味しく食べるポイントは、戻しすぎないこと。只々これだけである。塩蔵わかめは塩を洗い流し、水に浸しても3〜4分で充分である。灰干しわかめもそのまま水に浸して、同じく3〜4分以下、春のわかめは生で食べたい。新わかめを好みの固さに戻し、刻んでそのままポン酢や酢味噌、三杯酢等でいただくのが最も美味しい。若々しい新わかめの鮮やかな緑色も愛でながら食べたい。
出雲に「板わかめ」というものがある。ていねいに葉をひろげ、葉と葉のはしを少し重ね、自ら持っている粘着力を利用してはり合わせ、乾し、干し上げたわかめを指す。 この板わかめをあぶって粉にし、ご飯に振りかけたり、熱いほうじ茶を注ぎ入れてお茶漬けにすると、鮮緑色が鮮やかで、且つ、乙な味がする。 出雲地方では、昔は長さ30センチ以内のを「わかめ」と呼び、4月ごろにとる葉をひろげたのものを「めのは」と呼んだらしいが、現在は、板わかめを「めのは」と言ったり、わかめを総称して「めのは」と言ったり、区別がはっきりせずに曖昧になっている。日御碕の「めのは」と言えば、十六島ノリ、安来のモズクと合わせて、出雲の三大名物海藻と なっている。この「板わかめ」は、東日本で手に入れようと思っても中々手に入らない。どうやら西日本の食文化のようである。出雲地方等では、昔からワカメ交易の歴史もあり、西日本ではその加工法や調理法も進んだのかもしれない。東京で手に入れるには日本橋の島根県観光物産館に置いてあるときもあり、問い合わせに応じてくれる。
この、「板わかめの醤油漬け」という絶品珍味がある。確か、辰巳浜子さんの料理歳時記に載っていたのだと記憶しているが、当時、たまたま家にあった「めのは」で直ぐに作って見たところ、美味しくて直ぐに我が家定番の珍味になってしまったほどである。「めのは」と同量の「煎った胡桃」「花かつお」を合わせて、醤油、酒、みりん、煎りごまで味付けをする。ただ、それだけの和え物なのだが、とにかく「うまい!」のである。酒の肴に、ご飯の友に、めのはの海の香りと食感、胡桃の香ばしさが相まってたまらない旨味を出すのである。
最近は、ご存知「豆腐百珍」の企画で、備後地方の「うずみ」料理を知り、応用でこの「めのはの醤油漬け」を使った「ふわふわ豆腐で作る“うずみ”」という料理を作ってみた。これがまた美味しい。美味しい訳はきっと、“わかめと豆腐の味噌汁”“昆布と大豆の煮物”“海苔と納豆”のように、“めのはと豆腐”だからなのだろう。相性のよい組み合わせというのは、味がお互いを引き立てるのはもちろん、何故か、栄養的にも理にかなっているものである。海藻は油を浸透させにくいが大豆に含まれるサポニンが脂肪を吸収させやすくする作用があり、サポニンはヨード分を排出する欠点があるが、海藻はヨード分をたくさん含み、それを補う役目になるという訳だ。
普段の日常食では、ついついマンネリメニューになり、改めて「食」というものを深く考えたりするような場面はないが、こういう地域の特産品などを知り、さらにその美味しさを体感すると、その地域に愛着が湧いたり、その食べ物の歴史や文化を知りたくなったりする。加えて、「美味しい!」と感じるとそれを人に伝えたくなる。
「食べもの」には、人の気持ちや感覚を変えるほどのもの凄いパワーが潜んでいる。それでも、私の考える「食べもの」とは、「食べもの」という範疇の中の極々少量の欠片なのかもしれない。
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