胡 桃

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日本に自生する胡桃は“オニグルミ”。北海道から九州まで分布する在来種だ。テウチグルミという品種もあるがもともとは朝鮮から入ってきた胡桃らしい。シルクロードを経て伝わったものには「胡」という字がついている。胡瓜、胡椒、胡麻・・・そして胡桃。ペルシャから中央アジアを通り、中国から朝鮮、朝鮮から日本に入ってきたという。

オニグルミは雄雌同株で樹高は20mにも達する。雄花は黄緑の花の房が長く垂れ下がり、雌花は高い葉の上に天に向かって赤い花をつけ、秋になると黄緑色の先の尖った実をつける。実の外側を腐らせると中からこげ茶色の種子が出てくる。これが我々が地方のお土産屋等でよく見かける「オニグルミ」だ。

都会のスーパーマーケットでは、オニグルミは売られていない。菓子材料コーナーにあるのは、中国産の胡桃かカリフォルニア産の胡桃だ。現在、国産の胡桃(オニグルミ)はもの凄く高価なもので、いや高価なものというより生産量(流通量)が極少だからなのだと思われるが、一般の人が手に入れることはかなり難しい。沢で在来の胡桃を拾ってきては、囲炉裏の前で胡桃を槌で叩いて割るという光景は、昔の日本の山あいに住むお爺さん、お婆さんの夜仕事だったのに、安価な中国産やアメリカ産に押され、そういう仕事をする存在が激減しているのだろう。

“オニグルミ”の味には、コクがある。山のオニグルミをもらって来たが、胡桃割り用器具などでは全く割れない。金槌で20回くらい叩き続けると、やっと割れる。オニグルミは硬くて割れないから、“鬼”(オニ)がついたといわれる。やっとの思いで叩き割ると、中から油分たっぷりの実が出てくる。中国クルミや洋クルミはきれいな実の形をのこして売られているのに、自家製“オニグルミ”取り出し作業は、金槌で砕いてしまうので、殻と一緒に粉々に割れてしまう。割れた実の破片を竹串でこそげだしながら、「ここはあの形のこの部分だ。」と実の形を想像して食べる。濃厚だ。美味しい。エグミも強くなく、自ら持っている油分がコクのある味をまとめている。中国産やカリフォルニアさんにはない濃厚でクリーミーな味わいがする。中国産やカリフォルニア産のクルミは、炒ってあるからか、味より香ばしさの方が前面に出ている・・・という感じだろうか。

我が家に古くからある、“食べ物で直す薬”という本には疲労回復や腎機能回復、耳鳴り改善、老化防止、美肌効果などの効果が謳われている。高血圧やのぼせの強い人、下痢しやすい人は食べ過ぎてはいけない・・・と書いてあるので、つまみ食いは、ほどほどにしてこの辺でやめておこう。

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胡桃という字は外来のもの・・と先に書いたが、在来種もある。日本では、縄文時代から好んで食べられていた歴史深い食べ物なのだ。そういった先人たちの食文化が、現在の地方の郷土料理、例えば五平餅のたれになり、ゆべしになり、胡桃餅になっているのだ。冬の山間地の重要な食べ物として、大切に保存しておいた胡桃をひとつひとつ割り、味噌や醤油、時には砂糖と和えて雑穀の餅や団子に胡桃ダレとして塗り、滋養食としてきたのだ。

胡桃をすり鉢で擂ると、アクが出る。“豆腐の白和え”に少し入れると、豆腐生地がほんのり紫がかる。練り味噌の胡桃味噌を作ると、出来あがりから数時間たつとどんどん黒っぽくなる。胡桃がその色合いで“ちょうどよい量”を教えてくれているような気がする。

三之助の“こんこん”という商品をご存知だろうか?油揚げの中に具の入った豆腐の練り物が入り、表面を焼き付けてあるのだが、この豆腐生地の色がほんのり紫なのである。見るたびにいつも「きれいな紫だ。」としばし見惚れる。もちろん山形産の“国産胡桃”を使い、その胡桃を砕いたもの、玉葱、人参、干し椎茸等を細かく切った具と一緒に練りこまれている。これをオーブン等で焼き付け、醤油で食べると他におかずは要らない。フライパンでそのほんのり紫の面を焼いて、みりんと醤油の甘辛ダレで絡めて丼の具にしてもなかなかのどんぶりになる。

胡麻の代わりに胡桃を擂って、醤油と合わせてタレにしてもうまい。冷奴や湯豆腐の乙な変わりダレになる。また、油分が多い木の実なので、蕪や大根などのあっさりした野菜をサラダで食べるときのもう一つの具にするととても美味しい。

何か一つの食べ物と出会ったとき、私はよくこう思う。その食べ物をもっと知りたくなるのだ。例えば、胡桃の樹を山に探しに行って、観て、触ってみる。胡桃の木製品も触ってみる。オニグルミを実際に割ってその実を食べてみる。その実で五平餅を作ってみる。

一つの食べ物にスポットを当てて、その食品をいろいろな方向から見る、触れる、体感する。美味しさが広がり、その食べ物への愛着心が湧いてくる。そしてその美味しさを周りの人たちに伝えたくなる。少し解ったような気になる。しかしその後、これは、「味わう」こと、「賞味する」ことのほんの一部なのだ・・・と新たな気付きの瞬間が来る。食べ物は深い。そして楽しい。