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削りたてのかつお節に生醤油をかけまわし、熱々の炊きたてご飯にふりかけて食べる。シンプルこの上ないこの味は、正に至福の味である。このいわゆる「ネコまんま」は玄米飯にもよく合う。ネコも昔は良い暮らしだったのだなぁ・・・と改めて思う。今の彼らは、毎日同じ味の缶詰生活だもの。
かつお削りの主、今は亡き我が家の父は、この削りたてのかつお節におぼろ昆布を同量混ぜ、生醤油で味をつけ、冷奴や炊き立てご飯に添えていた。父発案のこれをお茶漬けにする食べ方が、めっぽう美味い。白ご飯を大きめの茶碗によそい、そこへ2cm角の焦げ目のついた焼き餅を2~3個、醤油に塗して入れる。更に上記のかつお節とおぼろ昆布を入れほうじ茶をかけまわす。ぬか漬けを添え、究極のお茶漬けの完成だ。今、当時の父くらいの年齢になった私も、時々同じことをやって日本の食文化の深さをしみじみ味わったりしている。本当に美味いものを味わえる幸せを感じる。同時に父の味覚の凄さにも改めて気付き、益々、父への尊敬の念が止まない。
毎朝、朝食の味噌汁が温まる頃合いを見計らって、かつお節を削り、自分の味噌汁だけにかつお節の削りたてをハラハラとかけていた“かつお節好きの父”の姿を思い出す。時々かつお節削り器の刃をコンコンと何かで叩いて調整していた姿も目に浮んでくる。敦賀育ちの魚類にめっぽううるさい父から、いろいろな味とその理にかなった食べ方を教わった。そんな父が、「パックに入っているかつお節なんぞは、あれは空気に触れているから酸化しているんだろうな。風味も香りも無くて美味くないから、買うなよ。かつお節それ自体は何年置いても酸化しないものなんだ。食べる分だけ削って直ぐにたべるから美味いんだよ。」とよく言っていたのを思い出す。
かつお節は極めて酸化しにくい。それを食べる直前に削り、削り立てを直ぐに食べてしまうから美味しい訳だ。現代における食品を取り巻く世界は、正に「酸化」「腐敗」「菌の繁殖」との戦いだ。食品に「酸化」「腐敗」「菌の繁殖」があるから、どうやってそれを美味しく保たせるかの工夫が生まれる。冷蔵や冷凍の技術しかり、瓶詰めやレトルトも菌から守り保存するという技術だ。そしてそれがエスカレートして、そこに経済性や金儲けの要素が入り、優先順位が狂ってくるから、添加物や防腐剤が乱用されるという図式になってくる訳だ。そんな現代の状況の中で、全く別次元の存在が「かつお節」である。製造に半年から一年、いや二年もののかつお節もある。鰹の選別に始まり、茹でて燻製にする。かつお節製造の業界では、「焙乾(ばいかん)」と呼ぶ工程だが、この燻製して乾かすという「焙乾」を十数回も繰り返す。次に、かつお節の表面に何度もカビをつけ、カビに更に水分を吸わせ、旨味をつける作業がある。そしてその都度表面にでたタール分を削り、作るのである。これだけ手間をかける加工食品が他にあるだろうか?
この気の遠くなるような製造工程は、食べ物の大切さ、味わいの深さ、食物に対して丁寧に扱う心、向き合う人の姿を映し出している。先人が残してくれた絶対に消滅させてはならない大切なものなのだ。直ぐに効率性や経済性を重視する現代人の感性ではこの工程は絶対に考え付かないだろう。
近頃、料理界の最先端を担うのフランスやヨーロッパで、日本の出汁、昆布やかつお節が見なおされていると聞く。そういう外からの情報が無いと、戦後の食の欧米化で味覚も感性もかなりバカになってきている日本人は、悲しいかな日本の伝統食の奥深さや大切さに気付けない。今、この気の遠くなるような“かつお節製造工程”にある伝統食の知恵や意味をもう一度検証し、日本の食全体を見直す時期に来ているのではないだろうか。食だけでなく、その先には、も少しましな中身のある豊な未来が見えるような、そんな気持ちを込めて“シュッシュ”というかつお節を削る音を聞かせ、削りたてのかつお節の風味を香らせよう。理屈でねじ伏せるので無く、美味しい味わいで、粋にショックを与えたいと思うこの頃である。
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